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2023/11/16スタッフブログ

グサッときたお話

最年少21歳ですべてのタイトルを手にした藤井8冠、7年ほど前の最年少でプロ棋士になってから彼は注目の的でした。

 

彼のサイン入り扇子は即売り切れ。

対局中のお昼ご飯も「勝負飯」と紹介。

中学生から事あるごとに注目される藤井聡太。

更には彼が幼少のころに使って遊んでいた玩具までもTVで取り上げられ品薄状態に。

その玩具がなかなかの高額商品変わったおもちゃで、ブロック似たいな穴のあいたキューブ型のものを組み合わせて遊ぶ知育玩具のようなものでした。

面白そうなので興味は持ちましたが、その玩具を我こそと購入しようとしている保護者を見て私は冷静になってしまいました。

 

 

「なんで買うんだろう」

 

 

その玩具には悪いが、そんなもので藤井聡太と同じくらいすごい子に育つとわたしは思わないし、購入している保護者もわかっているはず・・・でも、どうせ遊ぶなら「頭がよくなる玩具」の方がいいと思う保護者の考えも理解できないわけではありません。

しかもそれが最年少でプロ棋士となり、すべてのタイトルを取った人も使用していたのなら「わが子のためにも」「どうせ買うなら知育玩具で頭がよくなるもの」と高額な玩具を購入するかもしれません。しかし、その玩具には悪いですが、こどもは“もの”で知能は高くなるわけではないでしょう。たとえそれが「知育玩具」と呼ばれるものだとしても本当に知能は上がるのでしょうか?わたしはそうは思いません。人間はそんな簡単には出来ていないですし、我々がどの様に成長しどのように大人になったかを冷静に考えればそこではないことに気づきます。

 

 

久々に少し深い話になりそうですね。

我々の話す言語(日本語)はどのように話せるようになったのでしょうか?この人間らしさもどのように伝わったのでしょうか?人間以外の生き物たちは生まれた時からその生き物らしさを備えていると言われております。遺伝子に書き込まれているそうです。

 

 

馬は生まれてすぐに四つ足で歩き、「ヒヒーン」と鳴きます。犬や猫もそうでしょう。では人間はどうでしょうか、生まれたときは立つことどころかハイハイですらできません。何なら首も抑えてあげないといけない状態です。泣くことしかできず、しゃべることも「あー」「んー」くらいなものです。

この段階ですでにほかの生物の赤ちゃんとはおおきく違うことがわかります。

 

この赤ちゃんの時期に日本語で話しかければ子どもは日本語を話すようになります。

もしお母さんが英語で話しかければ英語を話すようになるでしょう。

では人間が猫に育てられたら・・・4つ足で歩き「にゃー」と鳴く人間に育つでしょう。

ちなみに猫や犬が生まれてすぐに人間が育てても人間の言葉は話せませんよね。

 

 

我々がどうやって日本語を覚えたか・・・・・一番そばにいた母親が、自分の周りの大人が、日本語を使っていたからです。赤ちゃんは母親と同じことをしないと「お母さんと同じ人間」になることが出来ないと本能的に感じていると言われております。この「模倣」こそが人間に備わった学習システムなのです。

人間の「人間らしさ」「人間の知能」「創造性」「想像力」は人と関わることしか子どもに伝えることができません。けしてTVや動画、おもちゃなどでは本質的に子どもを育てることが出来ないのです。

 

「こどもは模倣で育つ」こういうと、こどもを「良い子」にしようとお母さんが色々とお手本を見せるかもしれませんが、残念ながら子どもがそれを真似することなく、そのような「良い子」にしようとする「下心を持ったお母さん」を模倣してしまうのです。お母さんが「良いお母さん」を演じていると子どもが模倣するのは「演じている良いお母さん」ではなく「自分を隠し子どもに嘘をついているお母さん」の方です。(“お母さん”の部分は上司や先生と置き換えてもいいでしょう。)

 

子どもが模倣しようとするのは「大人のやっていること」ではなく「やっている大人」の方。

 

子どもに「良いお手本」を見せたいなら演技なんてする必要ありません。現実は仕事・洗濯・掃除・料理ダメダメでもいいんです。ダメダメでもそれを何とかしようと努力する、成長しようとする姿勢が大切なのです。

そして子どもはダメダメなほうではなく「努力して成長する」方を模倣するのです。

 

私がこれを読んだとき確か7.8年前、子どもが生まれ一児の父となった私はグサッときましたね。

 

 

これより私は新人コーチも新人アルバイトコーチもすべてのスタッフに「ときには訳が分からないこともあるかもしれませんが子どもの為に一生懸命やりましょう。」といいます。そうするとそれを見た子どもは「初めてでつたない接客」「緊張した新人コーチ」ではなく「一生懸命するスタッフ」を見るのです。

 

人の心の有り様や志が人を育てるのです。

 

 

 

ありがとうございました。

今日は以上です。

 

 

 

今は亡き私の父親の話です。

父は子煩悩でした。野球が好きで小学校の野球チームの会長までしてましたね。週6で働いているのに貴重な日曜日は子どもの野球指導に・・・昭和の父親はすごかったですね。わが子のみならず、他の子どもも「子どもを育てよう」「子どもの為にしてあげよう」そんな意思がありました。

ある日のことです。私が中1くらいのとき家の隣に小学2年生くらい男の子がいる4人家族が引っ越してきました。

私の父親はその男の子を見るなり「ぼく野球好きか?」

男の子「うん」

そして引っ越してきた男の子に私の昔使っていたグローブを渡し、次の日にキャッチボールをしていたのです。令和の時代にはあまり考えられないですね。隣の見知らぬおっさんが、来たばかりの子どもとキャッチボールって・・・

その親父の姿を見た私は心から「子どもが好きなんだ」と感じたのを覚えております。

 

 

親父の姿をみて育った私、子どもが大好きです。そしてほんの少しですが子どもの成長を助けるため日々一生懸命に指導しています。・・・失敗ばかりですが

そんな私の子ども好きも親父の模倣なのかな・・・・・そう思う今日この頃です。

 

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